和歌山の天狗伝説を検証!和歌山城に行き痕跡を探す【天狗の腰掛け石】

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和歌山の天狗伝説を検証!和歌山城に行き痕跡を探す【天狗の腰掛け石】

和歌山城にまつわる天狗伝説を耳にしたとき、「本当にそんな場所が現存するの?」「天狗の腰掛け石ってどこにあるの?」と気になった方もいらっしゃるかもしれません。

実際、天狗の伝説には裏付けがあるのか、あるいは単なる昔話なのか、地元民でも詳しくは知らないケースが多いものです。また、天狗伝説ゆかりの場所を探そうと思っても、詳しいことが分からずに行き詰まるかもしれません。

そこで本記事では、和歌山城に伝わる天狗伝説の中でも特に有名な「天狗の腰掛け石」に主な焦点を当て、その正確な位置、現地での見え方、周辺の様子を徹底的に紹介します。

地図だけでなく、実際の写真・動画・引用資料をもとに、確度の高い情報としてまとめていますので、和歌山の天狗伝説についての詳細を理解することができます。

さらに、石がなぜ“天狗の腰掛け”と呼ばれるようになったのか、どのような歴史背景や民間伝承と結びついているのかも詳しく解説します。

和歌山城の拡張工事と天狗伝説の関係、城内に残る別の痕跡「天狗の足跡石」や、和歌山県内のその他の天狗伝承などについてもまとめました。

この記事を読めば、和歌山城の観光がより深く、よりロマンに満ちた体験になります。天狗伝説の舞台を実際に歩き、その痕跡を自分の目で確かめてみたい方にとって、きっと役立つガイドとなるはずです。ぜひ最後まで読み進め、知られざる和歌山城の魅力に触れてみてください。

この記事のポイント
  • 天狗の腰掛け石の 正確な場所が分かり、現地で迷わず辿り着けるようになる
  • 和歌山城に伝わる天狗伝説の 背景・起源・歴史的つながりを理解できる
  • 腰掛け石の正体や性質について、 伝承と史実の両面から考察できるようになる
  • 和歌山に残る他の天狗伝説まで知ることで、 地域の民間伝承をより深く楽しめるようになる

和歌山の天狗伝説を検証!和歌山城で痕跡を探す【天狗の腰掛け石】

和歌山城に残る天狗伝説の核心である「天狗の腰掛け石」。その正確な場所や由来、現地での見え方まで解説します。

結論:天狗の腰掛け石の場所

本記事の結論(天狗の腰掛け石の場所)は以下のとおりです。

以下、ニュース和歌山様の記事からの引用画像です。
「天狗の腰掛け石」と書かれている場所は、同じ場所になっていることが確認できます。

ストリートビューからも確認できます。
(場所から考えて、これが天狗の腰掛け石である可能性が最も高い)

和歌山城の天狗伝説の概要

和歌山城には、江戸時代初期を舞台にした不思議な天狗伝説が伝わっています。

伝説によれば、1621年(元和7年)に紀州徳川家初代藩主の徳川頼宣が、和歌山城の拡張工事を始めた際、城のある「虎伏山」(とらふすやま・現在の和歌山城がある場所)に住み着いていた天狗に立ち退きを命じたそうです。

徳川頼宣
徳川頼宣(Wikipediaより引用)

(徳川頼宣は、「徳川家康の十男」で「徳川吉宗の祖父」にあたる人物です。1619年に和歌山城に入場し、2年後の1621年から和歌山城の拡張工事を行いました)

住処を追われることに慌てた天狗は、城内に住み続ける許可を懇願しました。
結果「深夜に城内を3度見回り(巡視)する」ことを条件に頼宣から居住の許しを得たといいます。

約束を交わした天狗は、さっそく毎晩城内の見回りを始めました。しかし、広い城内を一晩で3回も巡るのはさすがに大変でした。

そこで天狗は巡回の途中で城壁のそばの石に腰掛けてひと休みしたと伝えられています。
その腰掛けた石は「天狗の腰掛け石」と呼ばれ、現代にも残っています。

伝説では、天狗は夜な夜な空を飛ぶように和歌山城を見回り、この石の上で休息を取っていたとされ、天狗は最終的に城を守護する役割を果たしたとも語られます。

なお、天狗の姿について具体的な描写は残っていませんが、一般に想像されるような羽の生えた烏天狗あるいは山伏姿の大天狗が、城の守りを担ったイメージで語られているようです。

和歌山城の天狗の腰掛け石に腰掛ける天狗のイメージ
和歌山城の天狗の腰掛け石に腰掛ける天狗のイメージ

和歌山城の天狗伝説(天狗の腰掛け石)について深堀り

和歌山城の天狗伝説は、和歌山城の歴史的事実と民間伝承が交錯した興味深いものです。

徳川頼宣は徳川家康の十男で、関ヶ原の戦い後に紀州55万石の藩主として1619年に和歌山城へ入城しました。

更に、2年後の1621年頃から大規模な城の増改築を行い、西の丸や二の丸の拡張、高石垣の築造などを進めています。

この拡張工事の過程で生まれたのが天狗の伝説であり、当時の人々が城の改修に伴う不思議な出来事を物語として語り継いだものと考えられます。

伝説によれば、天狗は「虎伏山」(和歌山城の立つ標高約49mの小山、伏虎山とも呼ばれる。)に古くから棲んでいたといいます。

和歌山城は豊臣秀吉の弟・秀長が1585年(天正13年)に築城を開始した城ですが、その前から山自体に霊的な存在がいるという発想は、天狗伝説が各地で見られる日本の民間信仰の流れに沿うものです。

紀州は高野山や熊野といった修験道・山岳信仰の盛んな土地柄でもあり、天狗は山の守護や妖怪として語られることが多くありました。

和歌山城の天狗も、城主に歯向かったものの最終的には城の見張り役を務めるというストーリーで、結果的に城を守る存在として描かれています。

この伝説は公式の歴史として残るものではありませんが、口承として地元で語り継がれてきました。実在の藩主・徳川頼宣と、現存する石(腰掛け石)とを結びつけたロマンあふれる物語として、今でもしばしば紹介されています。

天狗の腰掛け石の場所(実際に探してみた)

天狗の腰掛け石は、和歌山城敷地の南西部に位置しています。
(具体的には、三年坂通りに面した石垣(県立近代美術館の向かいの石垣)の上にあります)

GoogleMapで示すと、以下の場所です。

実際の写真は、以下の通りです。

和歌山城の天狗の腰掛け石
撮影:筆者

案内が特になかったので、「本当にこれか?」とも思いましたが、ニュース和歌山様の記事からの引用画像で確認すると、「天狗の腰掛け石」と書かれている場所は、同じ場所になっています。

また、和歌山市公式サイトPDFの以下引用画像と見比べても、見た目が同じだと思われます。

動画も撮影したので、ご確認ください。

上記までの情報を総合的に考えて、これが天狗の腰掛け石だと考えています。

一応、今回石を探した際に、他サイト様の情報から考察した内容もまとめておくので、ご確認ください。

2つ目は「天狗の腰かけ石」です。城ができる前から伏虎山に住んでいた天狗が徳川頼宣との言い争いに負けたため,お城の見回りを任され,よく腰をかけて休憩した石だそうです。場所は追廻門から少し南の県庁前交差点の手前の細い筋を左へ入って,三年坂通りに出る角の石垣の上にあります。実際に座ったり,近くで見たい方は三年坂通り沿いで,よじ登れそうな所から上がるか,ちょっと先の不明門跡の所から上がるとよいでしょう。

和歌山城 珍スポット | 和歌山散策ガイド Wakayama Strolling Guide

その石は「天狗の腰掛石」と呼ばれ、三年坂に沿う石垣の西角の下に、ポツンと置かれています。

消えた石垣と天狗伝説 頼宣 拡張工事の痕跡 | ニュース和歌山

上記を見る限り、今回見つけたものと同じものを指していると考えていいかと思います。

不明門跡の駐車場から高櫓台に通じる坂道を登り、石垣上を西に歩くとこの折れ構造がよく分かりますが、夏は草が生い茂り、しかも高いので注意が必要です。この一角に前回お伝えしたチギリ彫の石や、「地 表角 八たん」「地 表角 十四たん」など彫られた文字刻印石が置かれています。文字は石を積む場所を指定したものと思われます。その道路側下には「天狗の腰掛け」と言われる伝説の石もあります。

ふるさと和歌山城ワンポイント⑫ 高石垣〜鉄壁を期した「折れ構造」 | ニュース和歌山

(この「石垣上から天狗の腰掛け石を見下ろせる景色」は私が行った際には見つけられませんでした)

実際に和歌山城に「天狗の腰掛け石」を探しに行ってきました。
路上からは見上げるほど高く、石垣の上からは急勾配の下りになっているような行きにくい場所に、上部が平らなその石はポツンと置かれていました。なるほど、空から降り立つことができる天狗だとスムーズに行けるに違いないでしょう。
和歌山市役所からその場所まで和歌山城のお堀沿いに行くと、息切れこそしませんが、一休みしたくなる気持ちも分かりまし
た。南向きの高台の中ほどとなれば、見晴らしも良かったことでしょう。

https://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/268/0410dayori.pdf

(和歌山城のお堀沿いに行ける場所であることが分かる)

調べた内容は以上です。

石の正体についての考察

この石は上面が平らで、まさに腰掛けるのに具合のよい形状をしています。そのため、「天狗が腰を下ろした石」として伝説に結び付けられたと考えられています。

実際には城の石垣工事で使われた残石(余った石材)ではないかとも(和歌山ニュース様の記事で)言われており、城郭の改修時に生じた石がそのまま残置されたものかもしれません。

大小様々な石垣石が使われた和歌山城では、刻印のある石や不思議な形の石も多く見つかっており、この平らな石もそうした遺構の一部だった可能性があります。

しかし上面があまりに腰掛けに適していたため、人々の想像力を掻き立てて天狗伝説の小道具となったのではないでしょうか。

和歌山城の「天狗の足跡石」の伝説

和歌山城には天狗にまつわる別の伝承「天狗の足跡石」も伝わっています。

城の南西部にある砂の丸(すなのまる)と呼ばれる曲輪(城郭内の一区画)の北端、現在の和歌山城公園の一角ですが、かつてそこに天狗の出入口があり、足跡の付いた石があったと言われます。

一説にはその足跡は弁慶のものとも言われていましたが(「天狗の足跡又は弁慶足跡」とも称された)、1908年(明治41年)に和歌山市内に路面電車の軌道を敷設する際、石垣の一部とともに足跡石も取り除かれてしまったそうです。

以下、他サイト様からの引用です。

砂の丸の北端は、天狗の出入り口とされ、かつては足跡のついた石があったと言われています。

https://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/268/0410dayori.pdf

不明(あかずの)門に続く石垣は、高石垣と呼ばれる事を記したあとに「江戸時代は前の国道24号のほぼ中央付近まで石垣が張り出していました」と旧状を伝え、「明治41年(1908)路面電車を通すため石垣が取り除かれた」と消えた石垣の理由が書かれています。

同じ場所から消えたものが、もうひとつあるそうです。郷土史家の吉備慶舟氏調べの「修景施設(石垣の状況)和歌山城の石垣刻印布置図」に「天狗の足跡又は弁慶足跡という。電車線敷設の際一部石垣と共に取り除かる(天狗の出入口との口碑あり)」と足跡のついた石がスケッチされています。

(中略)

築城話には、奇談が付きものですが、消えた石垣上にあった石は、何だったのでしょうか。千切(ちきり)彫りという石垣の天端(てんぱ)石の崩落を防ぐため、石と石を繋ぐための穴だった可能性が考えられますが、今となっては、確かめようがありません。

https://www.nwn.jp/feature/171007_takaisigaki/

上記の通りです。現在では見ることのできない足跡ですが、和歌山城には天狗を示す痕跡が2つもあった(腰掛け石と足跡)と思うと面白いですね。

和歌山におけるその他の天狗伝説

和歌山におけるその他の天狗伝説
和歌山県公式観光サイトより引用

興国寺の天狗伝説

和歌山県日高郡由良町の興国寺にも、天狗伝説が伝わっています。
(以下、引用をご確認ください)

鎌倉幕府の三代将軍源実朝の菩提を弔うために、1227年の安貞元年に建立。その後、1340年の興国元年に後村上天皇の時代を経て「興国寺」と名づけられました。ここには「その昔、火災による再建の際、赤城山の大天狗が一夜にして伽藍を建立した」という天狗伝説が残されています。長さ2.4メートル、幅2.7メートルの圧倒されるほど大きな天狗のお面は、この大天狗への感謝の心を形にしたもの。毎年1月には天狗まつりが行われ、後世にこの伝説を伝えています。

https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_585.html

天狗の腰掛杉

怪異・妖怪伝承データベース様において、和歌山県有田郡有田川町において「天狗の腰掛杉」という伝承があることが紹介されています。

テングノコシカケスギ
1975年 和歌山県
昔、天狗の腰掛であったという大杉から7,8間上がった道の真ん中に岩がある。寛永末の頃、ある石工が岩を割ろうと穴を開けにかかったところ、「腰掛杉」のほうからコラッと大声がし、石工は命からがら逃げ降りた。
■ 話者(引用文献)    川口孫治郎
■ 地域(都道府県名)    和歌山県
■ 地域(市・郡名)    有田郡
■ 地域(区町村名)    有田川町

https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/youkai_card.cgi?ID=2180604_001

この話は、民間伝承39巻3号川口孫治郎さんの旅行記(147ページ)に掲載されています。

和歌山の天狗の腰掛杉の話
国会デジタル図書館(https://dl.ndl.go.jp/pid/2237568/1/6)より引用

補足(和歌山城のその他観光スポットもおすすめ)

天狗伝説に直接関連する施設は他にありませんが、城内の他のスポットもぜひ散策してみてください。

和歌山城公園内には歴史について学べる「わかやま歴史館」や、美しい庭園「西の丸庭園」などもあります。

和歌山城は日本100名城にも選ばれた名城で、天守閣や伏虎山からの眺望も素晴らしいです。

天狗伝説に思いを馳せながら城域を巡れば、400年前の出来事がより身近に感じられるかもしれません。和歌山城の詳しいマップや施設情報は和歌山城公式サイト(史跡和歌山城)にも掲載されていますので、訪問前にチェックしてみると良いでしょう。

伝説の舞台と現在の史跡が交差する和歌山城、天狗の物語を頭に入れて巡ることで、観光が一層思い出深いものになるはずです。

和歌山の天狗伝説(和歌山城の天狗の腰掛け石)について総括

本記事では、和歌山城に伝わる天狗伝説と、その痕跡として現存する「天狗の腰掛け石」について詳しく解説してきました。

最後に、重要ポイントを整理しておきます。

  • 天狗の腰掛け石は、和歌山城南西部・三年坂通り沿いの石垣上にある平らな石のこと。
  • 本記事では天狗の腰掛け石の探索を実施。
    Googleマップ、ストリートビュー、現地写真、複数の引用元から 位置は一致しており、信頼性が高い場所と判断できる。
  • 伝説では、和歌山城の拡張工事で追われそうになった天狗が「深夜に城を3度見回る」条件で居住を許され、その途中で石に腰掛けたと語られている。
  • 徳川頼宣の和歌山城改修(1621年頃)が伝説の背景 にあり、歴史的事実と民間伝承が融合した物語となっている。
  • 石は実際には 石垣工事の残石(余った石材)だった可能性もある が、平らな形状が人々の想像力を刺激し「天狗の腰掛け」として伝承された。
  • 和歌山城にはもうひとつの天狗伝説として 「天狗の足跡石」 があり、これは明治期の電車敷設工事で撤去された。
  • 和歌山県内には 興国寺の大天狗伝説 や 有田川町の天狗の腰掛杉伝承など、天狗にまつわる話が複数存在する。
  • 和歌山城公園には天狗伝説以外にも、歴史館・西の丸庭園・天守など見どころが豊富で、伝説とセットで巡ると楽しさが増す。

和歌山城は単なる歴史スポットではなく、昔から人々の想像や信仰を受け止めてきた“物語の宝庫”でもあります。

今回紹介した天狗の腰掛け石もその一つで、実際に訪れると伝説の世界がぐっと身近に感じられるはずです。

この記事が、あなたの和歌山城探索をより深く、よりワクワクするものにする手助けとなれば幸いです。どうぞ現地にて「天狗の伝説」に思いを馳せてください!

最終更新:2026-01-03